こんにちは。odangoです。
学生時代は各クールの気になったアニメの1話をとりあえず録画しまくって
実家のレコーダーを独占していた位、アニメが好きでした。
(たまに親に小言を言われました。笑)
大人になってからはそこまでは出来ないですが…。
そんな中、odangoの中では久しぶりに
「心がへし折られる」すごい良いアニメに出会ったので紹介したいと思います。
絶望と悲しみに一直線 「86-エイティシックス-」
安里アサトさん原作(電撃文庫)の「86-エイティシックス-」。
毎話心をへし折られ続けました…。
死と隣り合わせに最前線に立ち続けるエイティシックスの少年と、
将来を嘱望されるエリートの少女。
決して交わることがなかったはずのふたりが、激しい戦いの中で未来を見る-。
サンマグノリア共和国が完全自立無人戦闘機械レギオンからの侵略を防ぐ為、
白系種以外の人種を排除し、排除された有色種(エイティシックス)は
共和国外(86区)に強制隔離され、無人戦闘機に搭乗し、レギオンと戦わせられるのですが、
共和国内ではエイティシックスは人して扱われない為、戦死者として認められず、
肌の色が違うというだけで命の重さも軽んじられるという世界のお話。
まず映像に対してのBGMの入り方やEDの入り方が毎回よすぎて鳥肌です。
他にも言っている方いるとは思いますが、
第3話のEDの入り方が衝撃すぎて、思わず息をのみました…。
時が止まったかのようなあの演出はレーナの精神状態を表してるのかなとも思いつつ、
観ている側にも「嘘だろ…」と思う余韻を残してくれているような感じ…。
あれは涙腺崩壊どころの騒ぎじゃなかった…。(最初のへし折られポイントでした)
第2話の戦闘シーンもBGMと合わせてめちゃくちゃかっこよくて、
個人的にはセオの「こっちを打たないでよ!ブラックドック!」からの流れが
心躍るくらい好きで、何回もシーンをリピートしました。
(ちなみにここから私はシンとセオ推しです)
あと挙げるとすれば、
やはり9話のシンと兄の戦闘ラストシーン。
BGMの入り方が良すぎてかっこいいのですが、同時にシンの悲痛な思いや悲しさも感じられて
色んな感情が波のように私の中に押し寄せてきました。
それにレーナが初めて「ノウゼン大尉」ではなく「シン」と呼んだシーンで
「彼らに生きてほしい」というレーナの気持ちが溢れ出た言葉だったんじゃないかな。
とてもエモかったです…(ちなみの一緒になって「シン!」と心でめちゃくちゃ叫んだ。笑)
更にOPの凝り方も好み過ぎました。
これは途中であれ?と気づいたのですが、
まず冒頭のシンが振り返って仲間の所に行くカットで戦死した子達がどんどん消えていき、
戦闘シーンの演出もシン・ライデン・セオ・クレナ・アンジュにプラスして
カイエ→ダイヤ→ハルトの1カットが入っていて最後の話の方は5人だけのカットになり、
その後の彼岸花のカットでは逆に戦死した子達の後ろ姿が増えていくという演出が凄くて、
OPもEDも作品の一部として作られている所がとても感動しました。
作品内での映像の描写も良く、シン側では花火の残りであったり燃えた木の後だったり、
カラスであったり、彼岸花であったり、儚さや絶望感、疎外感を演出する情景が描かれ、
反対に共和国内の様子は華やかに描かれていますが、
戦場の様子のナレーションと共にお肉やアラモード的なものを切って食べる様子があり、
「共和国という壁の中にいる人間にエイティシックスは殺されているのだ」
とでも言わんばかりの描写。
また、エイティシックスは墓がないというシンが話している時に
レーナがとても綺麗な共和国の墓場にいる描写も対照的な環境を表していたりと、
色んな所に細かい描写や伏線があり、こういう部分は小説原作の作品らしいなと。
描写でいうと、エイティシックス側の仲間たちはみんな、
ほとんど涙を見せた描写がありません。
仲間が死んでしまっても、いつもと同じような日常を送っている。
泣き散らすわけでもなく、怒るわけでもなく、静かに仲間の死を受け入れているからこそ
観ている側は胸が苦しく、えぐられるような感情を受けました。
でも決して冷たい訳ではなく、死を受け入れて生き、共に戦ってきた仲間の死を
自分の汚い感情や言葉で汚したくない、綺麗な死であってほしいと願う彼らの気持ちから。
反対にレーナは泣いたり怒ったり非常に感情豊かに描かれています。
シンたちが現実を受け入れている様子とは対照的に、
現実に対して抗い、戦おうと必死にもがいている様子が多く、
そんなレーナの姿にも心が苦しくなります。
観ている側もどちらの気持ちも分かるし、完全には分かり合えない気持ちも分かるからこそ、
本当に心が苦しくなりますし、人によっては不快感を覚える内容かもしれません…。
色々語ってきましたが、なぜここまで心が折られるのか。
同じ人間なのに人とみなされず、戦場の道具として、
強制的に戦わされている子達が死んでいってしまう様はやはり非常に悲しくなる。
でも私的ポイントは
覆すことのできない現実、抗うことのできない現実が立ちはだかっていること
だと思います。
どんなに彼らを助けたいと願っても壁の中にいる限り、
手が届くことも、一緒に戦うことも出来ないレーナ。
戦いたくなくても、死にたくなくても、
その道の先に死しか与えられていないエイティシックス。
抗うことのできない現実の中で国の犠牲になっていく。
どうにもならない状況が、見ている側の心にも重くのしかかる。
「誰に豚と罵られようと決して豚には成り下がらない。」
「死刑台に登ることは決まってても、登り方は選べるだろって…」
「ここでレギオンと戦って死ぬか、諦めて死ぬしか道がねぇなら
死ぬときまで戦いきって生き抜いてやる。それが俺達の戦う理由で、誇りだ。」
「俺たちはようやく自分のいこうと思ったところまで
いこうと思った道を辿っていけるんです。」
「俺達は追われるんじゃない、行くんだ、どこまでも、いけるところまで。」
「少佐は俺達のことも、忘れないでいてくれますか。」
「少佐、先に行きます、少佐。」
「いつか俺達のいきついた場所まで来たら、花でも供えてくれませんか。」
抗えない現実、超えられない現実。
それは私たちにもきっとあります。
例えば身近でいうと希望の学校に通えなかったとか…。
現実は変えられない。超えられない壁だっていくらでもある。
でもそこでどう生きるのか、どう進むのか、
どう頑張るのかは自分で選べる、自分の自由だと。
そういう姿をシン達がレーナに、私たちにも見せてくれた気がする。
仕方がない。そうやって諦めて流れるままではなく、
どうやって生きるかくらい自分で決めて生きていける人に私もなりたい。
そしてシンの心を預かったレーナは、
彼らの声に応える為、自分のゆく道を進んでいく。
「少女は涙と共に。少年は死と共に。」
86-エイティシックス- 第2クール 10月放送スタートです。
もし観ていない方いたらNetflixなどで第1クールをぜひ!
第2クールもとても楽しみです。
ではまた。



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